こんにちは、yasuです。
採用活動をしていたときに、未経験の募集だったので、第二新卒あたりの応募が多かったからか、みんな口をそろえたように「成長したい」「今の会社だと成長できない」と言っていました。まあ自分もその気持ちは分からなくはないのですが、なんだか言葉だけの「成長」が気になっていました。
20代でもなんとなく働いていたら、ある程度経験もできるし、ある程度のスキルも身につきます。その成長速度をブーストさせるような言葉を使う理由って何なのでしょうか?
成長原理主義が幸せなキャリアを阻害する
さてどうしてこんなことを考えるようになったかというと、前職で、ある部門の部門長をしていたとき、その部の採用活動も担当しており、求める人物像とかを話し合ったり定義したりしていました。
その中で、他社はどんな人物像を求人募集に載せているのか?という観点で見ることがありました。そうすると、「成長意欲が高い人」とか「自分で考えながら自走できる人」とかいかにも意識高い系のワードがポンポン出てきました。
確かに、自分で積極的に学習し、新しいことに取り組んでくれることは、会社組織として、上司として、大変うれしいのですが、頑張っている自分が好きというのと、本当に成長したいは違うのです。
私の働いている業界はかなりハードな労働環境でもあります。いろんな知識は求められるし、スピード感も正確さも求められます。納期というものがあるため、正直なところ心を病んでしまう人も多いのです。だからテンプレ的に使った「成長したい」という言葉に候補者も採用者側も踊らされて、仕事を振ってしまうと大変なことが起きてしまうのです。
特に、自分は「成長したい」という言葉に縛られている人の中には、
・自分はもっとできる
・完璧にしないといけない
・失敗するといろんな人に迷惑をかけて本当に申し訳ない
と強く考える傾向があって、「成長したい」という言葉に呪われているような人を何人か見てきました。そして、そういう人は一度ミスをすると、それが雪だるま形式にミスをよんでしまい、精神的につぶれるように私は感じていました。
成長することが「正しい」という思いにとらわれてしまうと、なぜ「成長したい」のかの観点がなくなってしまい、「とにかく頑張る」という根性論だけになってしまいます。
そうすると、がむしゃらに働くことだけになってしまうので、誰かがアドバイスをしても根性論だけになってしまうので潰れるまで働く傾向があります。
なので、「なぜ成長したいのか」ということを考えることで自分が本当に求めていることを俯瞰的に見つめることができるので、冷静な議論ができるのです。つまり、成長を手段ではなく目的と捉えてしまうと幸せなキャリアを築くことができなくなるのです。
成長することは楽しい
ちなみに私はどのように考えているか?というと、
1、成長することによって自分ができることは多くなる(業務範囲の拡大)
2、できることが増えると仕事の量やスケジュールをコントロールしやすくなる(業務量の調整)
3、時間的にもカラダ的にも負荷のコントロールができるので余裕が生まれる(心身の安全性)
4、できることが多くなった方が市場価値が高くなるので経済的に豊かになる(年収UP)
5、また、できることが多くなるということ自体が楽しい(ゲーム性)
という感じで考えています。
何かを学ぶ、何かをできるようになるということは、自分のキャリアを充実させるために必要なことだと考えています。だからこそ、成長は手段だと思えるし、成長したその先にある楽しさも期待できます。そして、どういうことを学べば上記の2、3、4を満たすことができるのか?という考えもできるので、何に力をいれるのかの優先順位もつけることができます。
私は目的なく成長する必要はないと考えています。人は放っておいてもその環境にいれば何となく成長していくものです。赤ん坊も日本語を話す人たちの環境にいれば日本語を話せるようになっていくし、お箸を使うような環境にいれば誰かが教えてくれたりします。
無理に成長速度を上げることは身体的あるいは精神的に負荷をかけることになるので、やはり目的がないと続きません。もちろん、その負荷を負荷と感じることのない性格であれば大丈夫でしょうけれども、そんな人はなかなかいません。
どれくらいの期間で、どれくらいのスピード感で成長していきたいのか?を計画することは長く働くうえで重要だと私は考えています。
そう、人は幸せになるために日々行動していると思うので、働き方も自分できちんとデザインできる方がいいですよね。なので、周りの雰囲気とかに流されないためにも自分はどうしたいのかを、なぜそうしたいのかをしっかりと考えることが幸せなキャリアを築くことにつながると思うのです。
ほな
さよなら三角また来て四角